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【香西歴史探訪 Vol.3】


讃留霊王と悪魚退治伝説 〜勝賀山に息づく英雄譚〜

■ 香西の始まりにいた“王”の名

香川県高松市香西町。現在は穏やかな町並みが続くこの地域には、古代の神話と歴史が静かに息づいています。その中心人物が「讃留霊王(さるれいおう)」と呼ばれる伝説の王です。

讃留霊王は、古代讃岐の地に存在した香西王国の支配者とされる人物であり、地元では“香西の始祖”とも呼ばれています。文献上の記録はわずかですが、『讃岐国風土記』などに登場する記述や口承伝説により、その存在が今に伝えられています。

彼の名が刻まれた石碑は、今も香西の勝賀山山麓にひっそりと残され、歴史をひもとく重要な手がかりとなっています。


■ 退治された“悪魚”とは何か?

讃留霊王にまつわる最も有名な伝説は、「悪魚(あくぎょ)退治」です。
その物語は、香西の海辺に突如として現れた巨大な魚(または龍とも)によって人々が苦しめられていたというもの。荒ぶる波を呼び、船を沈め、海岸に近づく者を襲う存在だったといわれています。

この災いに立ち向かったのが、讃留霊王でした。

王は兵を率いて浜へ赴き、数日間にわたる戦いの末、この“悪魚”を討ち取ったとされます。
その魚は、数十メートルにも及ぶ大きさで、討伐の後は勝賀山の麓に埋められたという伝承もあります。

“魚”とは、ただの生き物ではなく、自然の災いの象徴=台風や津波、飢饉の記憶とも言われています。王がこれを退治したことは、民を守った英雄としての姿を物語っています。


■ 勝賀山と香西城の重なる歴史

悪魚退治の舞台とされる勝賀山(しょうがさん)は、香西の背後にそびえる標高312mの山。
山頂には香西城跡
があり、中世には香西氏の拠点として戦国時代の攻防戦の舞台ともなりました。

香西氏は讃留霊王の末裔であるとも言われており、地元では王の血がそのまま中世へと続いたとする伝説もあります。
実際、香西氏は戦国時代において讃岐の有力豪族として細川氏や三好氏と連携・対立を繰り返しながら生き延びた歴史があります。

つまり、勝賀山は「伝説の王」と「実在した戦国武将」、両方の時代の物語が交差する歴史舞台なのです。


■ 現地に残る“記憶”の断片

現在、勝賀山には讃留霊王の名前を記した石碑や解説板が設置され、地元の学校でも香西の歴史学習に活用されています。
香西小学校の周辺には“王の井戸”や“王塚”と呼ばれる地名も残っており、人々の記憶の中で王は今も生きています。

また、香西地区ではかつて「悪魚祭り」と呼ばれる行事が行われたとも言われており、海の安全や豊漁を祈る地域信仰と結びついていた可能性もあります。


■ 現代に伝えたい、地元の英雄譚

讃留霊王の物語は、単なる“昔話”ではありません。

災害や困難に立ち向かい、人々の安全と暮らしを守った“地元のリーダー”として、現代の私たちにも語りかけてきます。

香西に根づくこの英雄譚は、地域の誇りであり、未来に残したい文化遺産の一つです。
子どもたちが山を見上げて、「あそこには王様がいたんだよ」と語る——そんな風景が、この地の伝承の豊かさを物語っています。


🏞️ご案内メモ

  • 勝賀山登山口:香川県高松市香西本町付近(香西小学校の北側)
  • 香西城跡:登山道を30〜40分で到達可能。見晴らし良好
  • 見どころ:城跡、石碑、山中に残る旧道、自然林
  • 登山適期:春と秋(夏は熱中症対策を)

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